為替(ホーム) > 0からはじめる為替取引 > 為替レート > プラザ合意
*English Plaza accord
0からはじめる為替取引

プラザ合意


 「プラザ合意」とは、1985年9月にアメリカのニューヨークにあるプラザ・ホテルで開かれた 5 か国蔵相会議(G5)で,ドル高是正のために各国が協調介入を行う合意をいいます。

 1975年11月にフランスのランブイエで開催した先進国首脳会議(サミット)以降もドルは下落しました。1978年になるいとアメリカは「ドル防衛」をせざるを得なくなり当時のカーター政権は、苦肉の策を講じることになります。 その策とはSDR(IMF特別引出権)を売却し、IMFリザーブ・トラッシュも引き出し、各国とのスワップ網を拡大しました。更に公定歩合も引き上げました。 1978年、第二次オイル・ショックから世界経済はスタグフレーションが発生します。

 このような時代背景の中で、レーガン政権は発足しました。 レーガン政権は通貨供給量を抑えインフレを抑制しようとしたために、アメリカの金利は上昇しました。 また、財政赤字拡大から、アメリカの国債は下落し、さらなる金利を押し上げる結果を招きます。 当時のレーガン政権は、経常赤字が為替レートを切り下げ、輸出が促進され、自動的に不均衡が解消されると、考えられていました。 しかし現実は押し上げられた金利から、国際的な資本取引により、ドルの上昇は止まりませんでした

 アメリカ国内は貿易赤字の問題が深刻化し、1985年9月22日、このような背景から、ベーカー米財務長官の呼びかけにより、ニューヨークのプラザ・ホテルで5 か国蔵相会議(G5)が開かれました。 ここで、「プラザ合意」がなされました。公表された合意の内容は下記の通りです。

  • 対外インバランスの調整に、為替レートがその役割を果たす事。
  • 為替レートは、これまで以上にファンダメンタルズを反映しなければならない
  • ファンダメンタルズを考慮すれば主要通貨はドルに対しある程度の上昇が望ましい
  • これを促進するために各国は密接に協力する用意がある事。

 合意に基づき、各国の通貨当局はドル高是正のため、協調介入を実施しました。 アメリカ国内で貿易赤字から対日批判を強かった為、我が国も積極的にドル売り介入を行いました。

プラザ合意以降のドル安 円高

 プラザ合意に基づく協調介入は外国為替市場にパニックを与えました。 特に東京市場は3連休であったため、日本勢に混乱を招きました。週明けの寄り付きは12円30銭ものドル安から始まりました。 日米合同による協調介入は、わずか2週間で31円もの急激なドル安円高を進行させ、11月25日には1ドル=200円を突破し、1987年1月19日には1ドル=150円を突破しました。 これは、プラザ合意から、わずか1年4ヶ月の出来事でした。

 

スポンサード リンク

 

page TOP

*